2019年1月27日(日)

その日は部活が休みで、5人の部活仲間に誘われて駅前の映画館に午後から出かけた。見たのは、「12人の死にたい子供たち」。こういういかにも若者が好きそうな映画(ごめん)には興味が無かったのだが、気づいたときには6人分のチケットが用意してあり、半ば強引に連れていかれた。見てみたら案外面白かった気がした。やっぱり真剣祐は顔が良いね。夕方から始まる回だったので、映画が終わるころには午後5時を過ぎていたと思う。

現代っ子のお手本のようにスマホに依存している私たちは、映画が終わると上映中に切っていたスマホの電源を即座に入れた。私のスマホは超格安スマホで起動が遅かったので、隣にいたすぐに立ち上がるiPhone8を羨ましく思いながら見ていた。そのまま見ていたら、その子の母親からの一通のLINEが目に入った。

「嵐!○○(私の名前)ちゃん大丈夫?」

え、なに…?なんか発表されたん…?とそのときは活動休止のかの字も頭に無かった。やっとこさ起動した私のスマホを見ると、櫻井担の相方から「○○(私の名前)」と一言だけのLINEとファンクラブからのメール。

 

心拍数が一気に上がった。

 

これはただ事ではないと私のジャニヲタレーダーが感じ取った。はず。
メールを開く。やっぱり。「嵐からの大切なお知らせ」の文字を見てさらに心拍数が上がる。
まさか、、まさか、、とにかく思いつく限りの“最悪”を想定しながら震える指でファンクラブにログインし、メッセージを開いた。

 

““2020年末で嵐としての活動を休止””

この文字を認識した瞬間、一気に涙が出てきた。

 

ライブとかでも普段あまり泣くことがない私は「これいつか解散とかなっても私だけ泣けないんじゃね…?」とか思っていたが、いとも簡単に出てきた。すすり泣きとかのレベルじゃない。号泣。友達もめっちゃびっくりしていた。「嵐が、、、嵐があああ、、、!!」と結構大きめの声で私は泣いていた。スクリーンを出ていく人たちにめっちゃ冷たい目でガン見されてた気がする。(注・ここまでの出来事は全て映画館の座席での話です)(友達ごめんよ)

そっから映画館を出て、泣きながら歩いて家に帰った。友達5人はみんななにかしらのオタクだったので口々に励ましてくれたが、そのときの私は何を言われても悲観的にとらえるしかなくなってしまっていて、ずーっと泣き叫びながら歩いていた。友よ、家の前まで送ってくれてありがとな。

家についた。母は泣き腫らした目をして帰ってきた娘を見ても何も言わないでくれた。母とファンクラブ動画を見た。嵐がしゃべってるのを見て、ああ本当なんだ…って。もう気分はお通夜。会見生中継しないかなって呆然としながらずっとニュースをやっていたNHKを見ていた。
夜9時。Mr.サンデーが始まった。

 

会見を見て、ますます現実を突きつけられた気がした。

 

嵐はもう前しか向いていなかったから。

 

完璧すぎるほど隙のない会見だった。

私はこんなにもまだ過去に取り残されているのに。

でもこうなってしまった以上、私が思いつく選択肢は一つしかなかった。

2年間、嵐を、5人を、全力で応援すること。

こんなことになるなんて考えてもなくて、思考が停止してしまった。この数年不安定なジャニーズの中で、嵐だけは永遠だと。そう思って疑っていなかったから。何も考えられなくなった。

私はいつ嵐ファンになったか、何がきっかけだったのか、全く記憶がない。なんなら、嵐ファンになる前は何を生活の楽しみにしていたのかすら思い出せない。それぐらい嵐は私の全てで。嵐がいない世界が恐ろしくて仕方ない。でもあんなに綺麗に結論を出されたら。ファンはついていくしかないって分かっている。分かってるんだけど。そんな葛藤を何度も繰り返した。

今。あれからもうすぐ1年が経とうとしている今。時間の流れの早さを痛感している今。
嵐はあらゆる手段を使ってファンに前を向かせようとしてくれている。と思う。
私はまだ今は、いつも通りの嵐に騙されていたいと思う。この今が、私は最高に楽しいから。

嫌だ。いなくなったりなんてしないでよ。
ここまで歩いてきてくれてありがとう。ゆっくり休んで。

この相反する2つの思いは、きっとずっとある。だけど、もうそれでいいと思っている。今の私が何かしらの結論を出すとすれば、今も未来も変わらず愛を注いでいくということだけだ。

 

嵐は私にとって永遠にスーパーヒーローだよ。

 

おわり